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2015年12月

米子市にある宗形神社です
山陰道米子南ICから国道181号線を南へ500m程で川向うに在ります
福岡宗像市の宗像大社が総本社で全国各地に多数あるみたいですね。
主祭神は有名な宗像三姉妹(田心姫・多岐津姫・市杵島姫)です
古代(弥生)はこの神社の近くまで深い入江だったのです。
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古代出雲王朝(出雲・伯耆)は領地を東西に西王家(神門臣家)、東王家(向家)が支配し、両王家の当主が交互に主王(大名持ち)と副王(少彦名)に就任するしきたりである。3世紀中頃に大和王朝に征服(国譲り?)されるまで繁栄を築くのです。
古代出雲王朝の祭神は「賽の神三神」であった。
クナト大神 この神は大神山ー今の大山(だいせん)に祀られた。
そのお后神が佐比売の命で「佐毘売山」今の三瓶山(さんべさん)に祀られた。
その皇子神がサルタ彦であり、出雲北山の鼻高山(はなたかせん)に祀られた。
王家は各地の豪族と結婚により血縁関係を築き、賽ノ神(サイノカミ)の祭事に各豪族が出雲へ参加し東は越の国(曽我氏)、西は九州(宇佐氏)まで緩い連合国家ができ対岸の朝鮮半島にまで交流交易が広がった。それにより出雲系の神社が全国各地にあるのです。

古代出雲王朝第六代の主王の臣津野(おみつぬ)の皇子吾田片隅(あたかたす)が九州宇佐の地に移住して宗像家の始祖となった。
彼は三人の姫君を育てた。宗像三姉妹(宗像三女神)です
一姫が田心姫(たごりひめ)で古代出雲王朝第七代主王(大名持ち)の天の冬衣に嫁いた。そして八重波津身(第八代少彦名=事代主命)や、紀元前3世紀初めに渡来した秦国人方士の徐福に嫁いだ高照姫を生み、その後この神社で暮らした。
二姫が多岐津姫(たきつひめ)で今の出雲市田儀町に住まわれ、第八代主王の八千矛王=大国主命の皇后となられたのである。そして味鋤高彦や美良姫(八重波津身の皇子奇日方に嫁がれる)を生みその後、大国主命と副王の事代主命が徐福一味(海童たち)に幽閉殺害されたため東出雲 阿太加夜神社で暮らした。
末姫の市杵島姫(いつきしまひめ)は大勢の海童(青年男女)を引き連れて
二度目に渡来し北九州(吉野ケ里)で「饒速日(にぎはやひ)」と名乗った徐福に嫁いだ。
そして彼女の息子の穂穂出見が有名な物部氏(もののべ)を興すのである。のちに宮島 厳島神社に祀られた。

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宗形神社本殿 シンメトリーが女性らしく清潔で美しく、また神々しく威厳がある

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近くに未発掘古墳群も多数存在し本当は由緒正しいけど意味不明な由来です
記紀編纂の藤原不比等の策略か、総本社にかなり遠慮して記述してありますね
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「みのむし イラスト」の画像検索結果    残りの球根を掘り起こしました
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消えて昇天した球根もありましたが、まあまあの出来でした
みのむしと同じで春が待ち遠しいですね

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